宝塚は若者男性オタクに向いているのではないかと感じる3つの理由

 

労働組合の文化レクリエーションで「宝塚歌劇」の団体観劇を企画することになった。(「宝塚」にはまっている人がいて、その人の勧めで宝塚観劇の団体観劇をおこなうことになった)その前までは1回も見たことがなく、「女性だけで構成されている歌劇団」「熱狂的なファンがいる」ということしか知らなかったので、慌てて勉強し、「1789 -バスティーユの恋人たち-」を見てきた。

 

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1回しか見ていないのでトンチンカンなことを言っているかもしれませんが、宝塚は若手男子オタクに向いているのではないか、と感じました。今から、そう感じた理由を書こうと思います。

1. 宝塚はアニメオタクを穿つ

宝塚で最も重視されているのは歌やダンスではありません(もちろん、歌やダンスの腕も磨いていますが)。スポットライトを浴びた際の演者の顔の向き、表情、全身の表現などストーリーに沿った形で格好良い《キャラクター》が前面に押し出される、その演出です。劇に沿って披露される数々の見せ場はストーリーのテーマを匂わせつつ、演者の《キャラクター》を確固たる物にし、それが演者自身への《キャラ》の補強へと還元していく。同じような戦略を持って迫ってくるモノをあなたは思い出すのではないでしょうか?そう、2010年代以降のアニメ主題歌の戦略です。

 

2010年代以降のアニメ主題歌はアニメ本編のテーマを匂わせつつ、歌い手自身の《キャラ》も補完していくというハイブリッド戦略を持っているます。1990年代の歌い手の《キャラ》を前面に押し出した声優アイドルの概念がみんなに浸透していった時代、エヴァ以降に急拡大したサブカル層に受け入れられるストーリーのテーマに沿って書かれた(そして、歌い手の《キャラ》は徹底的に封じ込められた)2000年代を経て、2010年代からは歌い手がアニメのストーリーのテーマを歌い、そのストーリーのテーマが歌い手の《キャラ》を強化していくハイブリッド時代に突入しました。

 

僕が知っている2010年代以降のアニメ主題歌を歌っているアーティストの中で宝塚と同じような凜々しさ、清廉さを持っている歌い手の筆頭はKalafinaです。僕は宝塚の舞台を見ながら、これはKalafinaのライヴのようだ!神秘性と凜々しさと清廉さをどう魅力的に見せるか、それを最大限に計算している!と感じていました。

 

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数々の見せ場で繰り広げられる歌劇やショーは見方を変えれば、僕たちが楽しんでいる2010年代以降のアニメ主題歌を歌っているアーティストライヴと酷似しています。そして、それはそのまま宝塚歌劇が最近のアニメファンにも受け入れられる土壌を持っているとも言えるでしょう。

2.従来からの《男性的コミュニケーション》に悩まないで済む

 《男性的コミュニケーション》と聞いて、論理思考とか問題解決型とか考えるのは早計です。ここで述べたいのは、いわゆる「ポケモンコミュニケーション」。自分が持っているポケモン(異性とか権力とか)の数や強さや質などを自慢し合う果てのない物語。ときどき、女性が「男性はいつまでたっても子供のようなコミュニケーションで盛り上がれる」ことに呆れているかもしれませんが、童心に返ってコミュニケーションを取って楽しめるのは古くからの友達が相手の時だけです。権力というのは基本的にはちらつかせている端物のようなモノです。そして、決して少なくない男性がそんな権力ゲームを背景としたコミュニケーションに、本当に本当に嫌気がさしているのです。

 

特に若手男子にとっては権力を持つことにそれほどうま味がない、なのに権力ゲームから降りないために全精力を傾けなければいけない、その不毛さにうんざりしているわけです。時には自分を貶め、時には聞きたくもない説教を聞かされ、それで手に入れられるリターンが少ないとなれば、誰もそこに普通は近づかないでしょう。ただ、男性社会(もしくは女性が男性に認められる社会も同様)ではなぜか、この権力ゲームが目に見える形でも、目に見えない形でも何重にはりめぐらされ、疲弊していくのです。この権力ゲームは男性が大多数を占めるコミュニティではなぜか自然発生的に立ち現れます。(男性的コミュニケーションの不毛さから逃れるはずに作ったコミュニティが魅力ある女性の出現により権力ゲームに巻き込まれる、その気持ち悪さを知りたい方は「ヨイコノミライ」でも読んでください)

 

ヨイコノミライ完全版 1 (IKKI COMICS)

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宝塚では上記のような下品な権力コミュニケーションに対して、ノリに加われないイケテナイ奴と思われないように一生懸命ついていく、そんなことは一切必要ありません。格好良い立ち振る舞いは自然に格好良い、可憐な立ち振る舞いは自然に可憐と思え、そして、それを周りの人に話せる世界です。また、今の若手男性オタクにとって同性同士の恋愛は(自分が対象にならない限り)嫌悪しません。これは腐女子界隈のできごとが一般的なことになったり、 女性同士の恋愛を示す百合物がそれなりに抵抗なく受け入れられている現在からも言えます。(ただし、一方で実際に自分が対象になりそうと思うと、鬼のよう な速さで遠ざかっていきます。これは同性同士の恋愛に対する忌避感と言うより、自分が欲望の対象となることに対する忌避感に起因すると思っています…… が、これはこれで書き出すと長くなるのでこの辺で)

 

上記を総合すると、「宝塚」は若手男性オタクにとって受け入れられる世界で、かつ、従来からある《男性的コミュニケーション》に疲弊する必要はありません。そういった意味でも今の若手オタクにぴったりな気がします。

3.そして、君の「未熟」は受け入れられる

若手男性オタクに限らず、自分を受け入れてくれるコミュニティの存在は重要です。それがたとえ一時の幻想かもしれませんが、ホームを持つことの安心感は先へ進むための助走へ力を変えます。タカラジェンヌは必ず、いつか「卒業」します。逆に言えば、宝塚を応援することは卒業する前の「未熟な」役者を応援することへとつながり、そして自分の「未熟さ」を受け入れることにもつながります。そして、その彼女たちの「未熟さ」を受け入れ、見守り、応援することで自分たちの「未熟さ」を受け入れることにつながっていきます。

 

でも、未熟さを受け入れ、見守り、応援するってアイドル活動の応援と変わらないんじゃないの?という人は出てきそうです。これは確かに非常にある意味、正鵠を得た指摘かと思います。特に、「AKB」と「宝塚」は未熟さを見守り、応援するという意味で非常に似ています。異なる点は「AKB」が選挙制といった世間の噂レベルで順位が急激に変動するシステムやじゃんけん大会などの完全な運を取り入れることによって、「偶然性」を積極的に取り入れている点でしょうか。その辺りのことは下記の新書に詳しく書いてあります。

 

 

でも、そんな中で若手男性オタクに対しては「AKB」よりも「宝塚」の方を推します。それは歳を取ってからの悲壮感が違うからです。中年男性がAKBにハマるのは格好悪い、とかいうのではありません。若手男性オタクが中年になってAKBを見続けると、いつの間にか「疑似恋人」の関係性から「疑似父娘」の関係性に変わってくる可能性が高いからです。(単純に自分の年齢は上がっていくのに、「AKB」にいるメンバーは卒業などを通じながら常に若く保たれるので当たり前といえば当たり前ですが)

 

「疑似父娘」という関係性のどこが良くないかというと、「父」と「娘」の関係は常に「父は常に娘に裏切られ(他の男に取られ)、それでも愛し続ける」という関係に結びつくからです。実際の「父娘関係」ならばそれは実の娘の数だけしか「裏切られない」ため、父親と娘を取り去った男は和解できるのですが、「疑似父娘関係」はAKBという枠内に入っている限り「娘」が無限に生産され、無限に裏切られ続け、それ故に無限に愛し続けなければいけないというループにはまってしまうからです。それよりは女性でありながら自分より格好良い「娘」が、可憐な「娘」が活躍する宝塚の方がよほどホームでありながら現実世界に戻りやすく、次の一歩を踏み出しやすい環境にあります。

 

もちろん、上記のリスクを十分承知の上でAKBファンを続けるというのであれば、それは個人の覚悟と自由ですので大丈夫です。しかし、「未熟さ」を応援することは自分の「未熟さ」を見つめ直しそこから一歩踏み出すことと捉えると、「未熟さ」を保ち続けるために奉仕し続けることは違います。あくまで若手男子オタクが「自分の未熟さ」を受け入れる、受け入れられる、そこから一歩踏み出すということをおこなうためには「宝塚」の方が向いているだろうということです。

 

いろいろ述べてきましたが……

僕が言っていることが正しいかどうか(正確に言えば、正しいと感じるかどうか)は一度、宝塚を見なければ分からないと思います。僕みたいにある程度大きな会社の文化厚生委員が宝塚のチケットを団体で取ったとかそんなことがない限り、普通は簡単にチケットが取れることはありえないでしょう。

 

一応、休日より平日の方が取りやすいようです。チケット販売初日に狙うのもありでしょう。それでも取れない場合は、もし周囲に宝塚にハマっている人がいれば、一度見てみたいと言えば手に入るかもしれません。ただし、もしかしたら一回見てもなんか違うな、と思うかもしれませんので、その人に一回試しに見に行くだけということを強調した方が良いかもしれません。また、チケットのキャンセルが出来ない場合があるので、そのあたりはメリデリを自分の目で見極めて、購入した方が良いと思います。

 

普通に見る分には良質のミュージカルと何ら変わりません。また、華やかなショーもあり(一般的に想定されている)男性も楽しめる要素もたくさんあります。しかし、もう一歩、奥深く進んでみると特に既存の権力コミュニケーションに疲れた、自分の羽を休める場所を探している若手男性オタクにぴったりはまるのではないかと感じる点が多々出てきましたので、書いてみました。