夏休みに高山に来てみたら外国人観光客でいっぱいだったでござる

名古屋-高山への電車内

夏休みを高山で過ごすと決め(週の真ん中に松本山雅との試合があるため、近いところで決めた)、名古屋まで新幹線で向かった後、ワイドビューひだの切符を取って乗り込んでみたら回りから英語やスペイン語がかなり聞こえてくる。えっと、なぜ、こんなに欧米系の人が高山に向かうのですか?車内では前の座席に座っている外国人カップルが。男性の膝の上に女性が乗り、キスを繰り返している。町中だったら風景の一つとして処理できたのに、目の前で見せられているので視線に困る。なので、ずっと窓の外を見ている始末。日本のローカル線の景色とヨーロッパ的な風景が合わさって脳内は絶賛混乱中。なぜ、こんなことになっているんだ?

 

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絶景の中をずんずんと進む。車両の半分は欧米系の外国人、聞こえてくる英語、spanish。窓の外は変わらない世界、窓の中は人種の坩堝。照りつける太陽、閉められるカーテン、見えなくなる絶景、ずんずん、ずんずんと進む列車。

高山に降りてみると

駅前に見えるたくさんの欧米系の人たち。中国人、韓国人も混じっているけど、首都圏と違って欧米系の人たちの数が逆転している。しかも、観光案内所で完備されている英語をはじめとして様々な言語でのガイド。また、free-wifiの文字。これ、訪日外国人が日本に来た際に困るところが全てケアされている(通信環境が貧弱、案内が分かりづらい、自分が分かる言語で書かれていない)。あれ?もしかして期せずして、外国人観光客が訪れる観光地のベストモデルに来てしまったのでは?ホテルにチェックインした後で調べてみたら、やはり飛騨高山は訪日外国人を増やすための様々な取り組みを先駆的におこなっているらしい。

 

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行政だけでなく住民も積極的

驚いたのは、このような先駆的な取り組みを行政だけでなく住民も積極的におこなっていることだ。レストランに必ず英語メニューがあるだけでない。町中に出ている看板やちょっとした黒板にもメニューの英語表記がある。

 

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高山は外国人観光客が多く賑わっているのですが、街中で出ているメニューのほとんどに英訳が付いています。free wifiもあって(簡単な登録で1週間使える)、外国人観光客に人気が出る理由が分かりました。

 

このような外国人観光客を受け入れる方策は行政が旗を振っていても、実際に住んでいる人たちが協力的でないため、なかなか進まないことが多い。日本人の英語への苦手意識や異文化コミュニケーションの経験が少ないことが作用し、外国人観光客を呼んで活性化につなげようという大文字の目的は頭で理解しているが、実際には面倒、誰かにやってほしいという想いが先行してしまう。

 

高山で学んだこと〜外国人観光客を増やすために〜

高山に来てみて英語を話す機会が増えた。英語は不得手なので、文法はめちゃくちゃ、単語は思い出せずしもろどもろ、ボディランゲージ多用中。でも、向こうも困っているので、ゆっくり話してくれるし、理解してくれようとする。なんとかなる。

 

少しずつまちがっている英語でも話すことが苦じゃなくなってきた。欧米系の人でもアジア系の人でも困っているようなら、声をかけてみる。もちろん、何に困っているか理解するのに時間がかかるし、こちらが説明するのもある程度の時間が必要。でも、問題が解決した後の笑顔、感謝の言葉で報われる。

 

高山に住んでいる人自身もそれを実感しているのだろう。高山の図書館には洋書や様々な世界の国を勉強するための本、留学するための本がたくさんあった。

 

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充分休んだので、図書館に来た!

 

そして、コミュニケーションを取っていると当たり前の事実に気づく。「○○人は××」というのは存在しない、ということを(当然「××である○○人」はいると思うが)。そして、コミュニケーションを取ることで僕の認識も変わり、コミュニケーションを取っている人たちの認識も変わっていく。

 

昨今、アジアの裕福層の観光に向けたバッシングというか蔑視の目が強い。「爆買い」とも揶揄される、その振る舞いは昔、バブル時代で浮かれていた同じ日本人の裕福層に向けた蔑視の目と同一だ。しかし、逆の立場から考えるとどうだろう?自分たちの国の言語どころか英語ですらガイドが整っていない、困っていても誰も助けてくれない、そのような国に来る場合、家族だけ、友人だけで来たいと思うだろうか?その国のことが分かるガイドを雇い、話が通じる集団で来て、頭を使わなくてもコミュニケーションできる物の購入に関心が向くのは当たり前ではないか?

 

物を購入するというのは欲望側に立ったコミュニケーションである。それに対して、他のコミュニケーション(日本文化を教える、困っている人を助ける)というのは理性側に立ったコミュニケーションである。良く揶揄される「爆買い」は欲望に沿った行動しか出来ないことを蔑視するが、理性に沿ったコミュニケーションを日本人自身が敬遠しているのに理性に沿った行動をしない外国人を揶揄するのは、それこそ愚かな行動じゃないのか?

 

じゃ、どうすればいいんだよ、という意見が出てくると思う。そんな人には、まず困っている外国人観光客に声をかけてみては、とおすすめしたい。相手がどのような国籍、信条を持っていようが困っているときに助けられれば嬉しい、また、困っている人を見れば助けたいと思うのが人間として自然な感情だと思う。

 

困っている外国人観光客を見かけたら、一声、"Can I help you?"と声をかけてみれば良い。それは個々人の小さな一歩だけれども、将来的に日本という国の評判を変える大きな一歩になるかもしれない。