彼らと顔を合わせられる自分になれるか

Mr.Childrenのニューアルバム制作のドキュメンタリーを見ていた。

 

 

実に2年以上も待ち続けていた。音楽プロデューサーの不仲説が流れてきた。実にありそうだとは思ったが、それだけで別れるだろうか、という疑問が渦巻いていた。公私混同してしまい、仕事のクオリティが落ちる小林さんなんてメンバーにとって自明の物だと思っていた。

 

出てくる情報は「ウカスカジー」の情報やフットサルに興じる情報だけで、それを見て、またMr.Childrenの活動はほぼ停止状態になるのではないか、と危惧していた。でも違った。僕が煩悶としている間、ずっとMr.ChildrenMr.Childrenのモンスターと戦い続けていた。彼らは今までの公式をかなぐり捨て、新しいMr.Childrenを作ろうとしてきた。今までの公式、理論的な正しさの奴隷になるなら、こんなに時間がかかっていなかっただろう。しかし、それらの苦しみがあったからこそ、取捨選択があったからこそ、このアルバムが出来上がったのだと思う。意味のある混沌(http://collabpatterns.sfc.keio.ac.jp/No18.html)をくぐり抜け、僕らの前に現れた。

 

そして、傑作が出来上がった。購入してから家に帰って何度も聞き返している。外で聞くのはちょっと怖い。そのままどっかに行ってしまいたくなるのではないか。僕自身の生活を投げ出してしまうほど《どこか》が手招いているのではないか。そんなことを思ってしまうほど僕に寄り添う部分もあれば、僕を超える部分もある。でも、そんな伝説を生み出したような傑作を前にして、何も行動しないのは滑稽だろう。

 

「世界を変える」と言いながら効率でしか発言できない人にかみつこう。自分の小ささや世間的な評価を気にして取り繕う人にNoをたたきつけよう。それらはみっともなく見えるかもしれないけど、一見すると遠回りだけれども、自分自身に嘘をつき続けるほどこれだけの傑作を届けた彼らに失礼なことはないのだから。