10,000時間の法則

世の中には10,000時間の法則というのがあるそうだ。10,000時間費やせば、その分野での天才と呼ばれるそうだ。日本人の総労働時間が平均1,800時間なので、その仕事だけに5年半費やせばその分野で天才と呼ばれることになるだろう。その法則に従えば。だが、話はそんなに単純ではないと思う。

 

10,000時間を漫然とやり過ごして天才になれるか?そうではないだろう。10,000時間を集中して費やさなければいけない。そこにはまず体力が必要だ。そして並外れた好奇心・興味も必要だろう。ある種、狂気に近いような形で取り憑かれた態度が必要だろう。だが、それだけで本当にみんなが天才になれるだろうか?

 

プロの中で天才と呼ばれるのはごくごく一部である。そして、プロになるのもごくごく一部の人間である。それでは、プロにならなかった人たちは10,000時間を集中して費やさなかっただろうか?たぶんプロにならなかった人たちも10,000時間を費やしたのだ。10,000時間を費やせば確かに一般の人とは違う上手さを手に入れるだろう。しかし、それはプロになれると言うこととイコールではない。その中でセンスがある人が残るのだ。そして、10,000時間を費やしたこと=ゴールではない。

 

当たり前のようにあるような楽しみをかなぐり捨ててでも、そこにしがみつくことしか出来ない。そんな中でも優劣が付けられ、劣っているとされれば立ち去らざるを得ない。まるで暴風雨の中で、業火の中で、縛り付けられながらもそこにいざるを得ない。それが天才の正体ではないか。

 

一般人である僕らはそんな狂気にも似た境遇にさらされながら輝いている天才たちを惜しげもなく消費していく。無邪気に天才にあこがれ、彼らは幸福なんだろうと思い込む。好きなことを仕事にしている、ああ、なんて素晴らしいんだろう。時には天才の悲劇すらも楽しんで消費していく。ああ、なんて素晴らしいんだろう。

 

 

西尾維新対談集 本題

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