identification

30代会社員が書く雑記です。

凡庸を楽しむ心

およそ4ヶ月ぶりの投稿になります。

 

昨日は友人が結婚したとのことで、その話を聞いていました。その友人は高校の頃からの腐れ縁で、全く意図していないのに道が交わるというよく分からない関係です。例えば、何も進路に関して相談とかもしていなかったのに希望する大学の学部まで一緒だったり、自分のやりたいゼミになぜか既に入っていたり。意図せず、一緒になっているならば、さぞかし性格や好みが似ているんだろうと思われるかもしれませんが、全く似ていません。なんというか、かなり自由人で一般常識からはかなりピントが外れています(^^;彼に関しては話のネタに事欠かなくて、女の子からクリスマスにイタリアンディナーに連れていってほしいと誘われてイタリアンの美味しい店を知らないからと二郎ラーメンに連れていったり(3ヶ月間、口をきいてくれなくなったらしいです)、昨日は片肺が潰れて病院に搬送されたとき女医さんに治療のため胸に穴を空けられたときトキメキを感じたと力説していました。そのあと、メル友になったらしいです。未だに訳が分かりません。(ちなみに僕は入院していて、女医さんとか看護師さんとプライベートのアドレス交換なんて一切できなかったです……)

 

しかし、ここまでぶっとんでいると話を聞くのもある意味、楽しくなってきます。変なバイタリティがある奴なんで、とりあえず応援したくなります。とんでもない目にあったりもするのですが、まあ、許してしまいます。そして、ここまでぶっとんで行動する人を見ると、いろいろとルールに縛って行動を封じるのはナンセンスだと感じてしまいます。なので、大学時代は僕がサークルの代表をやっていたのですが、できるだけ彼が自由に行動できるよう大学時代は気を遣っていたような気がします。また、彼が他の人たちをうまく巻き込めるように力を使ったつもりです。

 

まあ、ここからが本題なのですが、こんな風に自由に行動できる下地を作ると「意識が高い」「口だけ達者」な人たちがのさばってくるんですよね。高校時代からの友人に関しては自分が何をしたいかという欲求に対して素直に行動するので(その欲求がぶっとんでいたとしても)アウトプットが期待できるのですが、「意識が高い」「口だけ達者」な人たちは他人からどう見られるかということに対してのみ行動指針を置くので、組織として非常にアウトプットが出づらい状態になる。なので、面倒だけれどもルールを作ったり管理するなどぶっとんでいない「凡庸な」人間の集まりでも何かアウトプットが出せるように制限したくなる。

 

また、ルールを作ったり管理する側がぶっとんでいる人に嫉妬したりすると面倒なことになります。なぜ、あんな好き勝手なことを許しているんだ、縛り付けろということになって面倒なルールを作り上げて縛り上げてしまう。

 

そうやって自分の「凡庸」を認めない、もしくは「凡庸」に陥れるという捻くれた楽しみ方で生きている人たちが多いと非常に気疲れします。

 

30代も半ばになってきて分かったことは人間の能力というのは残酷なほど差があると言うことです。ある人の中にはF1の車並みの能力があっても、違う人の中には自転車並みの能力しかない。世界の中で平等なのは結局、生命は死んでいくということだけなのかもしれません。そして、自転車並みの能力なのに自分はF1の車なんだと思っていたり、もしくはこっちは自転車で走っているのに向こうはF1の車に乗っている!ずるい!と思ったときに、それが社会生活とか組織とかそういう人間の集団と関わってくると不幸が生まれるのではないかと最近は考えています。僕自身は自転車並みの能力しか持っていないので、F1の車並みの能力の邪魔はしないで、かつ自転車から見える景色を楽しもうと思っています。そういった「凡庸」をひねくれてではなく素直に受け入れて、楽しむ。そのために微力を尽くす、そういう人生になればいいなと個人的に考えています。