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30代会社員が書く雑記です。

現在、名古屋から帰っております

川崎フロンターレ vs 名古屋グランパスの試合を見た後に伊勢で2日ほど滞在していました。遷宮直前と言うこともあり人がたくさんいたのですが、時間帯を調整したため外宮・内宮とも待ち時間5分程度で正殿にお詣りすることができました。ただ、旅行に行く前から足の裏を怪我していて(今はだいぶマシになってきましたが)、最初の方はほとんど引きずるように歩いていたので、正殿しか行っていません。

 

結構、昔から伊勢に行っているので「伊勢にどうしてそんなに行くの?」と言われるのですが、理由を説明するのはなかなか難しいです(冗談で、実は伊勢で働いている図書館の職員と遠距離恋愛中とか言ったことはありますが^^;)。「どうしてフロンターレをここまで応援しているの?」という問いに似ています。

 

きっかけ自体は非常に単純で……もないんですが、「半分の月がのぼる空」というライトノベルを読んだのがきっかけです。あらすじとしては伊勢市を舞台に繰り広げられる難病を抱えた女の子とのボーイミーツガールストーリーです。一行で終わってしまった(笑)

 

上記のようなことを書くと「ああ、聖地巡礼ね」と納得されます。「聖地巡礼」とは小説・アニメ・ゲームなどの舞台になった実在の場所に行くことで、最近は街おこしにも使われています。茨城県大洗市が震災から人が来なくなったのに「ガールズ&パンツァー」の放映で観光客が戻ってきたことが最近ではニュースになっていました。確かに大きく括ると聖地巡礼と呼ぶかもしれませんが、個人的にはちょっと違うなあ、という感覚を受けています。

 

どこから説明すればわかりやすくなるのか、分かりません。例えば、僕の両親は両方とも生まれ育った場所をいち早く抜け出したがっていました。おそらく、田舎であり祖父母が両方とも教職関連であったということも関係して、プライバシーなどない生活にうんざりしていたのでしょう。父親と母親が両方とも抱いていた早く生まれ育った街から離れ、自立したいという気持ちは祖父母の社会的な立場、世間体の狭さ、それらが生まれ育った街と結合し、形成した物といえるのではないかと考えています。翻って自分はといえば、そのような自分自身を縛る物は何もありませんでした。大金を持っているわけではないですが、食べることも住むことも何も不自由がないということは、世界中の人にとっては非常に羨ましいと思われる境遇なのですが、裏返せば自分自身で語れる「物語」は何一つ持っていませんでした。女の子と付き合ってもそれはどこにでもあるようなこと、受験で失敗しても少しランクを落とせば高校はあるし、そこまでレベルの差が激しいわけではない。

 

上記のような境遇の中で、田舎に住んでいた人が感じていた自分の郷里への苛立ちというのが僕の中では表面上の想像はできるのですが、奥底までは体感・理解できず正直うらやましかった。自分にはそのような境遇がなく、物語がない。語れる歴史なんて何もないということがずっと自分の中でのコンプレックスになっていました。そんな中で読んだ「半分の月がのぼる空」は稚拙な、でも勢いのある文章で伊勢に対する苛立ちとそれでもヒロインのために伊勢を受け入れようとする物語でした。この物語を持って現地に行けば、伊勢という土地が持っている呪い、主人公の苛立ち、そして受容がもしかしたら追体験できるのではないか?(そうすれば、自分のコンプレックスなどたいしたことないことが腑に落ちて、また違った姿勢で自分の人生と向き合えるのではないか?)と思ったのがきっかけです。

 

小説やアニメやゲームなどのフィクションは現実にとっては取るに足らない物だと思います。でも、それらの「if」を受けることで今の自分ではなかった自分を想像することができ、結果、今の自分への受容へとつながります。要はフィクションの中でうまく訓電すれば複数の選択肢の中でたとえ、それが失敗したとしても自分の人生として引き受けることができるようになる、と僕は考えています。

 

と、どこがオチなんだか分からない状態で、そろそろ最寄り駅に着くのでお別れです。

それでは、また。

 

 

半分の月がのぼる空 1 (文春文庫)

半分の月がのぼる空 1 (文春文庫)

 

 

 

半分の月がのぼる空 2 (文春文庫)

半分の月がのぼる空 2 (文春文庫)

 

 

 

半分の月がのぼる空 3 (文春文庫)

半分の月がのぼる空 3 (文春文庫)

 

 

 

半分の月がのぼる空 4 (文春文庫)

半分の月がのぼる空 4 (文春文庫)

 

 

 

クリュセの魚 (NOVAコレクション)

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