彼らと顔を合わせられる自分になれるか

Mr.Childrenのニューアルバム制作のドキュメンタリーを見ていた。

 

 

実に2年以上も待ち続けていた。音楽プロデューサーの不仲説が流れてきた。実にありそうだとは思ったが、それだけで別れるだろうか、という疑問が渦巻いていた。公私混同してしまい、仕事のクオリティが落ちる小林さんなんてメンバーにとって自明の物だと思っていた。

 

出てくる情報は「ウカスカジー」の情報やフットサルに興じる情報だけで、それを見て、またMr.Childrenの活動はほぼ停止状態になるのではないか、と危惧していた。でも違った。僕が煩悶としている間、ずっとMr.ChildrenMr.Childrenのモンスターと戦い続けていた。彼らは今までの公式をかなぐり捨て、新しいMr.Childrenを作ろうとしてきた。今までの公式、理論的な正しさの奴隷になるなら、こんなに時間がかかっていなかっただろう。しかし、それらの苦しみがあったからこそ、取捨選択があったからこそ、このアルバムが出来上がったのだと思う。意味のある混沌(http://collabpatterns.sfc.keio.ac.jp/No18.html)をくぐり抜け、僕らの前に現れた。

 

そして、傑作が出来上がった。購入してから家に帰って何度も聞き返している。外で聞くのはちょっと怖い。そのままどっかに行ってしまいたくなるのではないか。僕自身の生活を投げ出してしまうほど《どこか》が手招いているのではないか。そんなことを思ってしまうほど僕に寄り添う部分もあれば、僕を超える部分もある。でも、そんな伝説を生み出したような傑作を前にして、何も行動しないのは滑稽だろう。

 

「世界を変える」と言いながら効率でしか発言できない人にかみつこう。自分の小ささや世間的な評価を気にして取り繕う人にNoをたたきつけよう。それらはみっともなく見えるかもしれないけど、一見すると遠回りだけれども、自分自身に嘘をつき続けるほどこれだけの傑作を届けた彼らに失礼なことはないのだから。

 

記憶力がヤバい

昔からモノを憶えられなかった方で、なんていうか自分の記憶力のなさに感心してみたりする。他の人に一番古い記憶は、と聞くと保育園 or 幼稚園時代の話がすらすら出てきたりするのですが、僕の幼稚園時代の記憶は飛行機型したジャングルジムの運転席に座って、飛行機を飛ばす妄想をしていたことしか憶えておりません。どうやら、テーブルに置いてあった大福を全部食べてしまったとか暑さに耐えかねて暴れまくりエアコンを買わざるを得なかったとか幼稚園でスカートめくりがはやっていた時期に僕はスライディングして下から覗き込んでいた、とかそんな話を家族とか親族から聞かされるわけですが、そんなこと全く憶えていません。特に最後のは本当に自分ですか?いや、犯罪に走るわけじゃないけど、その女子に対する行動力を今の自分にも分けてほしい。

 

5月末に坂本真綾のライブが広島県厳島神社でおこなわれるわけです。僕は2006年からフロンターレを応援してきておりアウェーにも行ったことがあるので、当然のごとく広島には何度も行ったことがあるわけです。路面電車にも何度も乗りましたし、宮島にも一度、行きました。でも、もう路面電車の乗り方もあやふやで、宮島もフェリーに乗ったことは憶えているのですが、切符をどこで買ったかも忘れています。毎回、行くたびに広島特有の交通路線磁気カードがあって、SUICAPASMOも使えないので、それを買おうかどうか迷うとかそんなことは憶えているのに!

 

10,000時間の法則

世の中には10,000時間の法則というのがあるそうだ。10,000時間費やせば、その分野での天才と呼ばれるそうだ。日本人の総労働時間が平均1,800時間なので、その仕事だけに5年半費やせばその分野で天才と呼ばれることになるだろう。その法則に従えば。だが、話はそんなに単純ではないと思う。

 

10,000時間を漫然とやり過ごして天才になれるか?そうではないだろう。10,000時間を集中して費やさなければいけない。そこにはまず体力が必要だ。そして並外れた好奇心・興味も必要だろう。ある種、狂気に近いような形で取り憑かれた態度が必要だろう。だが、それだけで本当にみんなが天才になれるだろうか?

 

プロの中で天才と呼ばれるのはごくごく一部である。そして、プロになるのもごくごく一部の人間である。それでは、プロにならなかった人たちは10,000時間を集中して費やさなかっただろうか?たぶんプロにならなかった人たちも10,000時間を費やしたのだ。10,000時間を費やせば確かに一般の人とは違う上手さを手に入れるだろう。しかし、それはプロになれると言うこととイコールではない。その中でセンスがある人が残るのだ。そして、10,000時間を費やしたこと=ゴールではない。

 

当たり前のようにあるような楽しみをかなぐり捨ててでも、そこにしがみつくことしか出来ない。そんな中でも優劣が付けられ、劣っているとされれば立ち去らざるを得ない。まるで暴風雨の中で、業火の中で、縛り付けられながらもそこにいざるを得ない。それが天才の正体ではないか。

 

一般人である僕らはそんな狂気にも似た境遇にさらされながら輝いている天才たちを惜しげもなく消費していく。無邪気に天才にあこがれ、彼らは幸福なんだろうと思い込む。好きなことを仕事にしている、ああ、なんて素晴らしいんだろう。時には天才の悲劇すらも楽しんで消費していく。ああ、なんて素晴らしいんだろう。

 

 

西尾維新対談集 本題

西尾維新対談集 本題

 

 

 

 

 

凡庸を楽しむ心

およそ4ヶ月ぶりの投稿になります。

 

昨日は友人が結婚したとのことで、その話を聞いていました。その友人は高校の頃からの腐れ縁で、全く意図していないのに道が交わるというよく分からない関係です。例えば、何も進路に関して相談とかもしていなかったのに希望する大学の学部まで一緒だったり、自分のやりたいゼミになぜか既に入っていたり。意図せず、一緒になっているならば、さぞかし性格や好みが似ているんだろうと思われるかもしれませんが、全く似ていません。なんというか、かなり自由人で一般常識からはかなりピントが外れています(^^;彼に関しては話のネタに事欠かなくて、女の子からクリスマスにイタリアンディナーに連れていってほしいと誘われてイタリアンの美味しい店を知らないからと二郎ラーメンに連れていったり(3ヶ月間、口をきいてくれなくなったらしいです)、昨日は片肺が潰れて病院に搬送されたとき女医さんに治療のため胸に穴を空けられたときトキメキを感じたと力説していました。そのあと、メル友になったらしいです。未だに訳が分かりません。(ちなみに僕は入院していて、女医さんとか看護師さんとプライベートのアドレス交換なんて一切できなかったです……)

 

しかし、ここまでぶっとんでいると話を聞くのもある意味、楽しくなってきます。変なバイタリティがある奴なんで、とりあえず応援したくなります。とんでもない目にあったりもするのですが、まあ、許してしまいます。そして、ここまでぶっとんで行動する人を見ると、いろいろとルールに縛って行動を封じるのはナンセンスだと感じてしまいます。なので、大学時代は僕がサークルの代表をやっていたのですが、できるだけ彼が自由に行動できるよう大学時代は気を遣っていたような気がします。また、彼が他の人たちをうまく巻き込めるように力を使ったつもりです。

 

まあ、ここからが本題なのですが、こんな風に自由に行動できる下地を作ると「意識が高い」「口だけ達者」な人たちがのさばってくるんですよね。高校時代からの友人に関しては自分が何をしたいかという欲求に対して素直に行動するので(その欲求がぶっとんでいたとしても)アウトプットが期待できるのですが、「意識が高い」「口だけ達者」な人たちは他人からどう見られるかということに対してのみ行動指針を置くので、組織として非常にアウトプットが出づらい状態になる。なので、面倒だけれどもルールを作ったり管理するなどぶっとんでいない「凡庸な」人間の集まりでも何かアウトプットが出せるように制限したくなる。

 

また、ルールを作ったり管理する側がぶっとんでいる人に嫉妬したりすると面倒なことになります。なぜ、あんな好き勝手なことを許しているんだ、縛り付けろということになって面倒なルールを作り上げて縛り上げてしまう。

 

そうやって自分の「凡庸」を認めない、もしくは「凡庸」に陥れるという捻くれた楽しみ方で生きている人たちが多いと非常に気疲れします。

 

30代も半ばになってきて分かったことは人間の能力というのは残酷なほど差があると言うことです。ある人の中にはF1の車並みの能力があっても、違う人の中には自転車並みの能力しかない。世界の中で平等なのは結局、生命は死んでいくということだけなのかもしれません。そして、自転車並みの能力なのに自分はF1の車なんだと思っていたり、もしくはこっちは自転車で走っているのに向こうはF1の車に乗っている!ずるい!と思ったときに、それが社会生活とか組織とかそういう人間の集団と関わってくると不幸が生まれるのではないかと最近は考えています。僕自身は自転車並みの能力しか持っていないので、F1の車並みの能力の邪魔はしないで、かつ自転車から見える景色を楽しもうと思っています。そういった「凡庸」をひねくれてではなく素直に受け入れて、楽しむ。そのために微力を尽くす、そういう人生になればいいなと個人的に考えています。

川崎フロンターレvs貴州人和でのゲーフラに関する中国マスコミの文章を和訳してみた

全くblogを書く暇がなくて、久しぶりの投稿となりますね……今回はACL川崎フロンターレvs貴州人和でのゲーフラに関する中国マスコミの文章を和訳してみました。

背景

川崎フロンターレは2013年のJリーグで3位になったため、ACLAFC Champions League)に参加しています。その初戦であるホーム等々力競技場で、とあるフロンターレサポが出した"胜利是我们的,茅台酒是大家的"(和訳すると「勝利は我々の物、茅台酒は我々の物」となります)というゲーフラが話題になり、中国メディアにも取り上げられました。

(経緯とかその辺りはドメサカ板まとめブログでも見ていただけるとわかりやすいかも。 http://blog.livedoor.jp/domesoccer/archives/52073318.html

それが自分のTwitterのタイムラインでも話題になっていたのですが、記事が中国語で何を書かれているか分からん!とのことだったので、意訳してみることにしました。

(ちなみに僕自身は大学時代に中国語を習っていただけで、生業にしているわけではないですし最近は使っていないので、誤訳があるかもしれません。しかも追加情報を書くと、授業も一度「D(要は不可)」で落としてます^^; そんな劣等生の意訳なので誤訳があると思います、知見のある方はご指摘いただけると非常に助かります)

 

というわけで和訳してみる。

(全文はこちら→ http://sports.163.com/14/0226/18/9M1ESNSU00051C89.html#p=9M1H5VPR0B6P0005 )

途中、文頭に※が書いてあるのは、僕個人のコメントです。

 

川崎前锋球迷中文标语鼓舞斗志:茅台酒是大家的!

川崎フロンターレサポの中国語ゲーフラで闘志をあおった:茅台酒は我々のものだ!

※标语は直訳するとスローガンという感じですが、サポにとってはゲーフラの方がわかりやすいかなあ、と

 

贵州人和客场挑战日本的川崎前锋,有日本球迷打出中文标语“胜利是我们的,茅台酒是大家的”为川崎前锋助威。

貴州人和がアウェイで日本の川崎フロンターレに挑んだ際、ある日本のサポが川崎フロンターレの応援のために中国語の「勝利は我々のもの、茅台酒はみんなのもの」というゲーフラを出した。

 

2月26日,亚冠小组赛首轮继续展开争夺,贵州人和客场挑战日本的川崎前锋,赛前前往川崎现场助威的日本球迷打出中文标语“胜利是我们的,茅台酒是大家的”为主队助威。

2月26日、ACLグループリーグの初戦、貴州人和がアウェーで日本の川崎フロンターレに挑んだ際、試合の前にスタジアムのホームサポがホームチームの応援のために「勝利は我々のもの、茅台酒はみんなのもの」というゲーフラを出した。

 

2012年亚冠联赛第四轮,广州恒大主场与柏太阳神的比赛激战正酣之时,广州球迷在看台上打出一条雷人标语,上面赫然写着“钓鱼岛是中国的,苍井空是大家的”几个大字,而且还配上了日语翻译,显然这专门是为了让日本球员和球迷看到。

2012年、ACLの第4戦に広州恒台と柏レイソルのホーム戦が正におこなわれているとき、観客席にいた広州サポが突然、標語を出した。そこには「尖閣諸島(釣魚島)は中国のもの、蒼井そらはみんなのもの」と書かれていて、また日本語に翻訳した文字も出したため、(わざわざ)はっきりと日本選手とサポーターに分かるようにしたのだ。

 

※今回、「标语」を「標語」と書いたのは広州戦で出たのがゲーフラとは言いがたいなあというイメージの物でしたので……(参照:http://rocketnews24.com/2012/04/19/204877/

※「看到」ですと「見える」ですけど、文脈を考えると日本語にすることによって日本人も分かるようにした、という方がわかりやすいかなと思います。

 

恒大如此霸气的标语很快在日本国内引起反响,有球迷称“原来中国人还挺懂幽默的嘛,横幅都打出来了啊,忍不出笑出来了”,还有球迷调侃说:“看起来有必要为了钓xxx鱼xxx岛牺牲苍井空了,要不酒井法子也一起打包算了?”

広州のこのようなスローガンは素早く日本国内で反響を巻き起こした。あるサッカーサポは「元々、中国人はユーモアが分かる人たちなので、横断幕が全て出てきたとき笑いをこらえることができなかった」、またあるサッカーサポはからかいながら「尖閣諸島(釣魚島)のために蒼井そらを犠牲にするのなら、酒井法子も持ち帰るのをあきらめたた方がいいんじゃない?」と言った。

 

今年亚冠首轮贵州人和客场挑战川崎前锋,不知道是否日本球迷是向恒大球迷学习到了灵感,打出了“胜利是我们的,茅台酒是大家的”的标语,而且直接是用中文书写。不过虽然日本也有酒文化,但最喜欢的是清酒

今年、貴州人和がアウェイで日本の川崎フロンターレに挑んだ際、日本のサッカーサポが広州のサッカーサポにインスピレーションを得たのかは分からないが、「勝利は我々のもの、茅台酒はみんなのもの」という標語を直接、中国語で書いて打ち出してきた。しかし、日本にもお酒の文化はあるけれど、最も好きなのは日本酒である。

 

此外,看台上还有球迷打出了“知己知彼者百战不殆”的横幅,这句话出自《孙子·谋攻篇》“知己知彼,百战不殆”。《孙子兵法》在日本的传播可谓源远流长,迄今已有1000余年,这位打出横幅的日本球迷看来对此也有所研究。

このほかに観客席の上にはあるサポが「己を知り、敵を知れば百戦危うからず」という横断幕を出しており、これは「孫子・謀攻篇」の「知己知彼,百战不殆」から取った言葉だ。「孫子兵法」が日本に1000年以上前から浸透しており、横断幕を出した日本のサポは「孫子兵法」も少しは研究していると見える。

 

訳し終えてみて

まあ、ところどころ上から目線を感じる部分があるにせよ、普通の記事ですね。まあ、中国語で書かれた時点でフロンターレに対する応援もあるけど、ユーモア返しであることを確信しろよ、と少し思いましたが(^^; ところどころ、そこまで日本人は考えていないのになあ、という部分はあると思いますが、そこは日本での中国に関する報道に関しても同様なので、あまり人のことは言えないですね。

 

補足しておくと、今の中国人にとって蒼井そらが非常に人気のある有名人ならば、少し前の中国人に非常に人気がある日本人アイドルと言えば酒井法子でした。麻薬事件の際に少なくない中国人がショックを受け「中国に来れば良かったのに」という言葉も出てくるほど人気があります。

 

あと、茅台酒とは中国にある高級焼酎です。アルコール度数は50度〜60度程度だったと思います。よく北京で飲まれている「白酒」と同じ部類に入りますが、匂いが独特なので好き嫌いが別れるお酒ですね。

 

アウェイ貴州戦に行くことは出来ませんが、もし行けるのでしたら今回のゲーフラのお返しをしてもらえないかなあと個人的に楽しみにしてます。

 

文化祭

2週連続で文化祭に出かけていった。1つ目は米澤穂信さんの講演会があったので、中央大学の学園祭へ。

 

http://instagram.com/p/gMwJ3UgsaF/

米澤穂信講演会直前。すでに満員気味。

 

謎と小説〜ミステリができるまで〜という題名だが、どちらかというと技術寄りの内容ではなく、米澤さん自身の人生を振り返るお話。その他、質疑応答が長時間活発に行われ、米澤さんは全てにある種、誠実に答えていた。(《古典部》シリーズで奉太郎とえるは最終的にくっつくのでしょうか?という質問に対して、著者がそれを答えるわけにはいかないでしょう(笑)と軽くかわしたり、相手の気分を害さないように質問に答えていく姿が印象的だった)

 

終わった後にキャンパスを回ってみた。中村憲剛の母校で、おそらく彼もここを歩いていたときがあったんじゃないかな、と思ったからだ。講演会終了に時間がかかったので文化祭の終わりの気だるい雰囲気がそこかしこに見られた。そして、お客さんを楽しませようと言うより自分たちが充実感を得たということを優先しているんじゃないかという内輪向けの空気が流れていて、いたたまれなくなってさっさと帰ってしまった。

 

そして、昨日は友人が勤めているインターナショナルスクールの文化祭に行ってきた。

 

http://instagram.com/p/gex6fDAsed/

高校生によるパフォーマンス。うまいねえ。

 

インターナショナルスクールに初めて行ったので、どんな雰囲気の文化祭なのか分からなかったんだけど、これがなかなか良かった。ハロウィンの延長のような感じで教職員や生徒が仮装しているんだけど、大学の学園祭にありがちな客寄せのために可愛い子に着せてみましたという感じは皆無で、みんな、この空間を楽しくしようとしていたのが非常に好印象だった。なんというか、良い意味で健全だなあ、と感じていた。

 

双方共に来てくれたお客様のためにという部分と自分たちが楽しいということを両立させながら企画を立てているということは一致しているのに、なぜこうも受ける印象が違うのか。そこにはコミュニケーションに関する今までの体験とかが関係してくるのか、などなど考えることが多い一日でした。

 

Kindle PaperWhiteを買いました。

http://instagram.com/p/fxRCIdAsTm/

 

Kindle PaperWhiteを買ってみた

自分で自分の誕生日プレゼントを探した結果、Kindle PaperWhiteを買いました。未読の本がたまってきて、行き帰りのバッグに入れる本の重量に耐えられなくなってきたので。今までは、サッカーの遠征とかで大量の未読本を持ち込んで、移動時に読みあさり旅行先から宅配便で自宅に送りつける(そして、空けたスペースにお土産を詰め込む)ということをしていたのですが、結構大変なんですよね。なので、軽くて持ち運べる物が良いなあと。楽天kobo、Sony Readerと比較してみたのですが、自炊は個人的に性に合わないので(本を裁断するのに罪悪感が伴うので)、Kindleかなあ、と。あと、ストアのインターフェイスがPCで見ていてシンプルだったので、これは良いなと。楽天はごちゃごちゃしていて、Sonyは今までの経験上レスポンスが遅そうでストレスがたまりそうだったので、Kindleに。(あと楽天とSonyはいつサービス終了するか分からないのが怖い)

 

箱を開けてみて

びっくりしたのが、説明書がないこと。電源はここ、という場所がって書いてあるだけなんですよね。やはり職業上、モノ作りの現場に携わってきて、ヘルプ、説明書はいつでも完璧なほど用意しているので、そのシンプルさは良いなと。ほぼ機能がないからできることだと思うのですが。日本だとすぐに多機能化とかしてしまうので、それは勘弁してほしい。そういったことに感心しつつ言語、wifi、amazonアカウントの入力などを済ませて、登録完了。(最初にabgに対応しているだろうと思っていたら、bgしか対応していなくて、aがどこにあるんじゃー、と探し回っていたけど……)その後、1-click設定をPCの方でしていなかったせいでアカウントと紐つけたんだけど、書籍が購入できないという顛末に。ただ、エラーメッセージにここへ電話しろという電話番号が出てきたので、サポセンに電話して解決。24時間365日動いているのかと思うと驚きました。本を連続して購入しているとレスポンスが悪くなったので、2回ほど再起動しました。でも、クレジットカード会社から本人確認の電話が来るほど購入したので(40〜50冊くらい?)、仕方ないかも。

 

いくつか読んでみて

小説、マンガ、ビジネス本などを中心に購入しましたが、今のところは特に違和感がないです。嬉しいのは寝床で読むときに目が疲れにくいことですかね。ページめくりとかもマンガは結構かかるかなと思っていたのですが、割と素早い。あまり紙の本と変わらない。

 

あと、重さが気にならない。200g程度だと、やはりいいなあ。タブレットだと、アプリ更新しなくちゃとかいろいろなことに気を取られて時間が取られがちなんだけど、それがないのはいいなあ。

 

欠点としては入力インターフェイスがこなれていない。予測変換の精度も悪いですし、ストアで本を検索するときにちょっといらっとしてしまう。また、入力と表示がワンテンポずれるので、不便。このあたりは、まだまだ改善の余地はありそう。

 

あとは端末の容量に関しては異論がないのですが、フォルダ(Kindle上ではコレクション)がクラウド上で保存できるようになっていてほしいなあ。端末の容量が多いほどいいかと言われると個人的には疑問で探索に時間がかかりすぎる。なので、クラウド上に購入情報があるので、随時読みたい本を入れ替えるというのは良いんだけど、消去してダウンロードするときにシリーズ物ならシリーズ全てダウンロードしたい。なので、コレクションをアップできるようにしておいて、それをダウンロードできるようになれば入れ替えが非常に楽になるかなあと。

 

で、本の品揃えに関しては?

たぶん、どのストアでも同じだと思うのですが、売れている本に関してはあるんだけど、専門的な本になると厳しい。技術系だとO'Reillyとかは積極的にPDF販売しているので、購入して必要に応じてKindleに送ればいいかなあと考えているんだけど、ビジネス書とか小説とか思想系の本とかやはりまだまだ足りない。特に売れ筋じゃないんだけど、確実にその道を選ぶならば読んでおけ的な原典が買えると便利だなあと思います。

 

最後に

Kindleを買ってみて、書店がなくなるのではないかという意見が理解できるようになりました。読書量が多い人ほど、電子書籍端末で購入するという風潮に変わっていくと思います。単純に本屋で買って置いておくだけのスペースがないからです。BookOFFで売るという手があるのですが、それは出版社および作家さんにお金がいかないので躊躇してしまいます。電子書籍端末であればデータを消去すれば良いので(他の人に回らないので)特にそういった問題は発生しません。カラー情報が多い児童書や書き込む必要がある参考書等は紙の本でないとまだまだ表現力や機能に差があるので、そういった面では紙の本の出番はなくならないと思いますが、それは例えば児童書ならばキッズコーナーで売れば良いし、参考書ならば学習塾などで売れば良いと考えると総合的な本屋としての価値はなかなか難しそうです。カラーのe-inkの技術開発、おそらく色再現性と描画速度の高速化がネックかと思いますが、が進んでも児童書や参考書などはなくならないかなあと個人的には感じます。(アイドル写真集とかグラビアとかはどの程度の人が品質を求めているかによりますね)

 

ただ、都内の大きな本屋は生き残ると思います。読書家は自分の世界の本だけでは足らず、常に新しい出会いを求めているので、そういった出会いの可能性が電子書籍ストアでは難しいからです。ただ、紙の書籍は見本でしかなくなり、もしかしたら購入すると電子書籍ストアが購入済みのステータスになり、電子書籍端末がネットにつながってダウンロード可能な状態になれば自動的にダウンロードされるというシステムに変わるかもしれません。

 

そして、紙の書籍は愛好家のみが購入するものになるのではないかなと。紙の質感、インクのにおいなど、紙の書籍にしかないものはあります。ただ、それらはきっと愛好家の中での高級嗜好品として高価な価格でやりとりがされるのではないか、と。もしかしたら湿度と温度が完璧にコントロールされた書斎を持っていて、そこには紙の本がずらりと並んでいるという風景がお金持ちのステータスになるかもしれません。